願い

和歌山県、熊野三山に行ってきました。
熊野本宮大社、熊野速玉大社に参拝し、熊野那智大社は時間が無くて行けなかったものの、
那智の滝を拝むことはできたのでまあ良しとしましょう。

神社巡りの楽しみの一つに、絵馬があります。
人の願いは多種多様で、単なる自分の努力目標から、人の願いを代弁するものまで、
まさに神頼みで、好き勝手書くもんだから見ていて飽きません。

宇多田ヒカルの曲に、『誰かの願いが叶うころ、あの子が泣いてるよ』という歌詞がありましたが、
それを思い起こすような絵馬を見つけたので思わず写真を撮ってしまいました。
今日はこの絵馬を読み解いてみたいと思います。

一番じゃなくてもいい。
健気ですよね。みんなが一番を望まなければ、争いは無くなるかもしれません。
だけど、そうは行かないのが世の常。

傍に寄り添う権利が欲しい。
この権利とは、法的なものでしょうか。それとも慣習的に言う所の権利でしょうか。

もう一度、戻れますように。
一度は心はここにあった。離れていった心を繋ぎ止めるのに、神に頼る。
あるいは、頼らざるを得ない状況である事に胸が打たれます。

この絵馬がかけられていた熊野速玉大社には、多くの神が祀られています。
熊野速玉大神(イザナギノミコト)、熊野夫須美大神(イザナミノミコト)を中心に、十二の神が見守る中、
この願いは神々に届くのか。

結果は神のみぞ知る、ですね。

 
 

・・・よく見ると、「寄り添う」の「添う」の字がさんずいからりっしんべんになっていました。
明鏡止水の気持ちで書いたつもりが、心を抑えられなかったのかもしれません。

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