JANE DOE の歌詞考察

チェンソーマン レゼ篇を映画館で見て、映画の内容もさることながら JANE DOE が素晴らしすぎたので歌詞などについて好き勝手書いてみます。
まず、チェンソーマンの映画について、漫画は第二部を含めて全部読んでいますが、覚えているのはレゼ篇だけだったんですよね。それ以外の話は読み返してああそうだった、と言う感じ。最初にレゼ篇を読んだ時はまだマキマさんが味方だと思っていた(いやまあ実際に味方ではあるんだけど)ので、レゼは敵役なのに無駄な努力するじゃんくらいしか思っていなかったのですが、第一部を最後まで読むとあら不思議。何もかも忘れてレゼと逃げるべきだったのではという妄想があふれ出て来る。こわい。
適当にイイネしてるとTLには無限にデンレゼが流れて来て、それはそれで良いのだけれどやっぱこの映画は JANE DOE が異質じゃないかと思うのです。
アニメの主題歌はいくつかパターンがあって、だいたいはこんな感じかと思います。
- 内容とは全く関係ないもの
- 雰囲気を分かりやすく伝えたもの
- 登場人物をなぞったもの
- ストーリーをなぞったもの
最近のアニメだと登場人物をなぞったり、ストーリーをなぞったりしたものが多く、漫画もしくはアニメがそのまま曲になったような良くできた印象を受けます。チェンソーマンだと KICK BACK と IRIS OUT は登場人物をなぞった曲だよなと。ただ、JANE DOE はこれらとは違った「ストーリーを拡張したもの」じゃないかと思うのです。主題歌の越権行為というか。えっそんなの許されるんだみたいな。
作品内の要素を散りばめるでも無く、登場人物が言いそうなワードを並べるでも無く、ストーリーに沿った歌詞を歌い上げるでも無く、JANE DOE はアニメが漫画を補完するように主題歌がアニメの物語を補完するだけはでなく、明らかにストーリーを拡張している。KICK BACK や IRIS OUT があくまでもアニメに合った曲であるのに対し、JANE DOE は物語に組み込まれ、さらにその先を行っている感じ。何て言うか、公式のサイドストーリーとかスピンオフに近い感覚です。
米津玄師は物語の登場人物の人となりやストーリーを歌詞に落とし込むのが天才的に上手く、作品と主題歌の一体感が毎回とんでもなく完璧(M78とか本当に凄いと思います)なのですが、JANE DOE はまた別の次元に到達したなぁと。宇多田ヒカルの歌声もそれはそれは素晴らしくて、これは確かに宇多田ヒカルじゃないといけなかったのだなという気がします。
私は音楽理論の事は詳しくないので、コード進行だとか音階だとかの解説は他の人に任せるとして、歌詞を見ていきますね。この短い歌詞の中に宇宙が詰まっている感じです。
米津玄師の歌詞と言えば、BOW AND ARROW で結構凝った事をやっていて、
自分の中で重要な一節を浮かび上がらせるために、それ以外を全部「e」にするということを考えました。「きっとこの時を感じる為に生まれてきたんだ」と「きっと君の眩しさに誰もが気づくだろう」という、このフレーズに焦点を当てる意図はありましたね。韻を執拗に踏むことで弓を構えて引くような緊張状態を作って、「生まれてきたんだ」で解放するという。
https://natalie.mu/music/pp/yonezukenshi30/page/2
いやいや器用すぎじゃない?と思ったのですが、あれ、BOW AND ARROW がこれなら JANE DOE はどうなってるんだろと思って見てみると半端なかった。
JANE DOE https://share.google/9iTA9yQP60sm1YYCl
歌詞をそのままコピペすると色々ややこしいので歌詞を見ながらもしくは JANE DOE を聴きながらこの文章を読んで欲しいのですが、まず最初のフレーズで 「e」で終わる言葉が 8回続き、安定感と心地よさから静かに始まります。
そこから次のフレーズでは「i」が 4回続いた後、「a」が 2回、「o」が 1回、「e」が 1回、段々と韻が外れていくのです。この短いセンテンスで、望んでも手に入らない運命をリリックとライムの両方で表現しているように感じます。神業でしょこれ。
突然のブレイク、漆黒のような無音、ため息、からの。
この曲最大の問題フレーズ。作中、レゼはこんなセリフを言っていないにもかかわらず、これはレゼのセリフだと確信できる言葉。レゼが言いそうなセリフ、では無く、レゼのセリフなのです。やっぱこれ公式SSじゃない?
直後に米津玄師が殴り掛かって来るというかさらにゆさぶりをかけて来るというか、これまでと違ったリズムで「o」が 4回。
続いて米津玄師と宇多田ヒカルの掛け合いがあるのですが、最初の 2回は応えてくれて一緒に「この世を間違いで満たそう」と歌った後、次の 3回の呼びかけには、もう答えてくれないのです。やばい書いてて泣きそう。
続くフレーズは繰り返しでありながらまさに宇多田ヒカルの真骨頂と言うか、天才的な音の揺らぎ。
そして最後に、Aメロだったフレーズがサビとなって襲ってくる感じ。泣き叫ぶようなシンセリードと、米津玄師と宇多田ヒカルのスキャットで物語の幕は閉じる。
僅か 4分弱の長さ、比較的シンプルな音数、短い歌詞の中で本当に物語の全てが凝縮されていて、何て言うか打ちのめされたという話でした。まさにこんな感じ。
俺のハートはレゼに奪われちまった。もう一生、喜んだり悲しんだりできないのかもしれない。